アル中爺のスリップ日記

いや~アル中は治らないねぇ、俺の死ぬまでの記録かな

3カ月の入院、退院したらいきなりスリップ!
アル中人生も書くけど、
ガキの頃からやってるアニメーター人生、、、
正直こちらのほうがキツイ(´Д`ι)

原発について俺の知る限り本当のことを書く(青山繁晴よりはましだ)

俺がこの仕事を始めた頃バイトに入った会社が
ogawa modeling

↑こんなクールな模型を1984年当時作っていた会社、
実家からも近く、ここでバイトをすることになる、
10名ほどの職人がいて全員超優秀、ただ~・・・腕にかぎればね!


当時はやっていたゲーム「ドラゴンクエスト」
全員はまってたね職人さん、マップやら呪文やら朝から晩までその話ばかり、
俺はその時21歳、とんがってたから機械、工具の使い方を教えてほしかった!
こんな仕事があるけどやりませんか!
等々積極的に前のめりになっていったが、結局空回り、


この言い方が適当かどうかわからんが社長の小川〇晴、呉服問屋の婿養子
幼稚園から大学まで慶応boy、
まぁ、典型的な高学歴バカだな。


結局俺は2年程でバイトを辞め独立して雨宮映画に没入していくわけだが・・・


ここで、ひろゆき風にタイトルを回収していかねばならない、
ここの職人さんの前職はプラント模型、配管模型の制作者だ。
3DCADが全盛の今、プラント模型は過去の遺物、、、でもないようだ。
少し説明すると
「実物の大きなプラントを、縮尺して視覚化をさせます。 作業工程の説明や、装置の一部をカットして内部の仕組みを説明するためにも使われます。」
だとさ、ようするに平面の図面で配管が重なっているところを、立体化させ検証、実証する模型のことだ。

↑こんな感じ~


で、察しのいい読者はお分かりだと思うがこの配管模型、一番の大仕事は・・・
そう、原子力発電所、いっしょに仕事をしていた職人さん達はその原発の配管模型を担当していたひと達だ。


ある日の事、
俺「原発の下で直下型地震が起きたらどーなるんすかねぇ」
職人さん、全員手を止めて俺のほうを向き
「もう無理だよ、終わり終わり、( ̄∇ ̄;)ハッハッハ」だって、


また別話、いつも組んで仕事をしていた、カメラマン大●藤●氏と話をしていたら、
「いや~この間ねぇ東海村の原子力施設に入ってPR映画を撮ってきたんだけど、あれヤバいよ」
というのは彼に言わせるとそこで働いている職員、白の制服は来てるが全員つっかけサンダル、髪は長髪、実にだらしないカッコウをしているそうだ、
施設内にに入るとき持たされた線量計、
机の端っこにあったシャーレに入った粉、今にも机から落ちそうで、そ~と線量計を近づけたら「ピー!ピー!ピー!ピー!」
「何ですかこれは!」職員笑って「そんなもん気にしてたらここでは仕事できないっすよ」
たぶん記憶が定かではないが「東海村JCO臨界事故」が起きたのはこの後だと思う、


他にもネタはあるが今回はここまでにする、
原子力を全否定したら未来の日本はおそらくないだろう、
扱う技術者は己がそれだけ重大な責任をしょっているんだからそれを全うしてくれなきゃ、

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