アル中爺のスリップ日記

いや~アル中は治らないねぇ、俺の死ぬまでの記録かな

3カ月の入院、退院したらいきなりスリップ!
アル中人生も書くけど、
ガキの頃からやってるアニメーター人生、、、
正直こちらのほうがキツイ(´Д`ι)

再び「ヒルコ妖怪ハンター」

以前記事にしたんだけどその時泥酔状態で、
しらふに戻って読み返したらヤバイ!
ヤバすぎる内容(;´瓜`)!
そっこー削除!なかったことにした (-。- ) フゥー、、、


だけど少し視点をずらしてもう一度書き直そうと思う、


当時、「妖怪ハンター」が映画化されると業界で話題になっていた、、、


塚本映画の常連、知合いの造形師から声がかかり、自分が参加することに!!!


当時俺は24才ぐらい、、、諸星大二郎先生の大ファン!
仕事のキャリアはまだまだないが、やる気満々!


監督の塚本晋也さん、インディーズ系「鉄男」で世界的に注目されていた、


当時バブって出来た西武系映画制作会社セディックの
堤家のドラ息子、もとい御曹司が塚本さんに白羽の矢を立てて成立した企画だ、


塚本さんは「鉄男Ⅱ」の撮影を中断、初の商業映画の監督、
ボランティアで塚本映画に参加していた若手スタッフと共に挑むことになる、


しかしながら、やっぱり、当時の邦画界って
屑の集まり(●︎´・△︎・`)はぁ~


自分より弱そうな奴(若手スタッフ)を見つけると
ガ鳴る、怒鳴る、わめき散らす、、、
ホントこいつら猿かイヌ以下の存在(犬に失礼?)、こういうの人間性の問題っていうんだろうなぁ╮(╯_╰)╭


だけど塚本監督、そんな状況でも常に平常心、
心が揺れているのを見たことが無いんだ、、、


器の大きさ、周りへの気づかい等々、その積み重ねが後の作品に有名俳優、スタッフが多数ボランティアとして集まり名作、傑作を作り続ける原動力となる、、、


で、前にも書いたが撮影が終わり、打ち上げ3次会も終盤、、、


塚本さん、司会から「最後に一言、監督から、お願いします」
と求められ、、、
「僕のいまの思いはこの歌に全て籠めます!」


「学園天国!!!」


その時のパフォーマンス、はンッパじゃない!
「ピストルズ」のシド・ビシャスよりかった!!!
チョークールだったぜ(◎-◎;)!!


ちなみにこちらはシドの「マイ・ウエイ」

Sid Vicious - My Way (Original and Complete Version)


「ヒルコ」以降10年以上商業映画を撮らなかった
全ての原因はここにある、、、

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